犬の幸せとはなんだろう
犬の幸せとはなんだろう
「犬の幸せって、なんだろう?」
ふと、そんなことを考えることがあります。
思い浮かぶ「幸せそうな犬の姿」はたくさんあります。
けれど、それが本当に犬にとっての“幸せ”なのかと聞かれると
答えに迷ってしまいます。
犬は言葉を話しません。
「今日、すごく幸せだったよ」とは教えてくれない。
もしかしたら私たちが「幸せそうだ」と感じている瞬間は、
実は犬の本心とは違うのかもしれません。
そう考えると、
犬の幸せ = 私たちが思い込んでいる幸せ
だとも言えるのかもしれません。
僕が「これだけは犬の幸せに近い」と思っているもの
そんなふうに堂々巡りをしながら考えていく中で、
僕が「これだけは、きっと犬の幸せに近い」と信じていることがあります。
それは、本能です。
本能というと少し難しく感じるかもしれませんが、ここではこう考えてみてください。
「生きていくうえで、自然とやってしまう行動」
たとえば、ごはんを食べたときの安心感。
喉がうるおったときの満足感。
ぐっすり眠れたあとのすっきりとした気持ち。
それらはどれも、「生きる」ために必要な行動であり、
だからこそ心地よさが感じられるように、体ができている。
この仕組みは人も犬も同じです。
だからこそ、本能が自然に満たされている状態こそ、
犬にとっての“幸せの土台”なのではないかと、僕は思うのです。
犬にとっての「土台の幸せ」
では、その“本能”は、日々の暮らしの中でどんな形であらわれているのでしょうか。
- お腹が空いたときに、しっかりごはんが食べられること
- 喉が渇いたときに、いつでもきれいな水が飲めること
- 安心してぐっすり眠れる場所があること
- 自分のペースで歩き、走り、匂いを嗅げること
- 危険や強いストレスから守られていること
- 群れ=家族の一員として、つながりを感じられること
こうした「生き物としての当たり前」がちゃんと守られている状態には、
犬の本能レベルでの安心や心地よさが詰まっていると思うのです。
僕はこれを、犬にとっての“土台の幸せ”と呼びたい。
どんなに高級なおやつをあげても、
どれだけおしゃれな首輪をつけても、
この“土台”がぐらついていたら、犬は本当の意味で満たされないかもしれない。
まずはその土台を、丁寧に整えてあげること。
そこがすべての始まりなんだと思います。
「本能+選べる余白」があるとき、犬はもっといきいきする
そしてもう一つ、大切にしたいことがあります。
それは、犬自身が「自分で選べる瞬間」があることです。
- 散歩中、犬が行きたそうな方向に、たまにはついて行ってみる
- 遊ぶか、そっとひとりで寝るかを、犬に任せてみる
- ごはんのペースを、できる限り犬のリズムに委ねてみる
そんな、ほんの小さな選択の積み重ねが、
きっと犬に「自分で生きている」という感覚を与えてくれる。
本能が満たされていること。
そして、そのうえで“選ぶ余白”があること。
この2つが合わさったとき、
犬はよりいきいきと、自分らしく暮らせるようになるのではないでしょうか。
僕たちにできること
「犬の幸せって、結局なんなのか?」
この問いに、明確な正解はないのだと思います。
犬は言葉で気持ちを語ってはくれないし、
科学でもまだ解ききれていない部分がたくさんあります。
けれど、それでも僕たちにできることはあります。
- 食事・水・睡眠・安全・運動・つながりといった「本能的な欲求」を満たしてあげること
- 「こうしてあげたら幸せだろう」といった、飼い主側の理想を押しつけすぎないこと
- 犬自身に「選ばせる余白」を、ほんの少しでも残してあげること
この3つを意識しながら、
日々のなかで、丁寧に向き合い、工夫を重ねていくこと。
それがきっと、犬と暮らす僕たちにできる、
ささやかだけれど大切なことだと思います。
「うちの子は今、幸せかな?」
そうやって迷いながら、悩みながら、
それでも毎日ごはんを用意して、散歩をして、眠る姿を見守る。
その時間のすべてが、
もしかしたら
人と犬が一緒に紡いでいく“幸せ”そのものなのかもしれません。